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平城遷都1300年マスコット/童門冬二氏講演/『おおさか東線』開通

せんと
マスコットキャラクターの行方はいかに?

奈良県でとあるマスコットキャラクターを巡り、大論争が起こっています。
最近の新聞やテレビでもたびたび紹介されていますが、平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターのことであります。鹿の角をたくわえた童子(得度していない少年)のようないでたち(写真参照)。
それが「インパクトがある」などと評価される一方、「不快感を感じる」「仏様、大仏様をキャラクター化したり、角をつけるのは冒涜ではないか」などの意見がとびかっています。
平城遷都1300年記念事業協会が同キャラクターの愛称を募集したところ、1カ月間で1万4539件もの募集があったとか。
平城遷都1300年祭は2010年開催予定ですが、キャラクターの善し悪しはともかく、これまでの奈良にはなかった話題性が出てきたことも事実。
愛称は4月中旬に決定予定で、しばらくは話題になりそうです。(広)


童門
「小説 上杉鷹山」などの作品で知られる作家の童門冬二さんが、東大阪商工会議所が3月4日に開催した事業承継セミナーで講演を行いました。

タイトルは「歴史に学ぶ後継者育成術」。
戦国武将が行った後継者育成の成功事例と失敗事例を一つずつ紹介して、事業承継の秘訣を説きました。
失敗事例としてあげられたのは武田信玄。
戦国時代に甲斐や信濃を平定し、越後の上杉謙信と川中島で激闘を交わした戦国大名です。
かの織田信長もその存在を恐れた名将で、昨年の大河ドラマでもおなじみですね。

彼は上洛途上で持病が悪化し、自国の甲斐に戻る途中の現在の長野県下伊那郡あたりで病没します。
その跡を継いだのは武田勝頼。
信玄ですら落とせなかった遠江の名城高天神城を落城させるなど活躍をしましたが、武田家の滅亡を招きました。
その原因は、信玄は死の間際まで勝頼を跡取りとして宣言せず、他の家臣達と同様の扱いをしたことと童門さんは分析。

そのために勝頼は信玄のような信望を家臣から得られず、武田家内に不和が生じてその後滅亡の道をたどることとなりました。

一方で成功事例としてあげたのは黒田官兵衛。
豊臣秀吉の名軍師として名高く、備中高松城での水攻めなどの奇策で天下取りを後押しした天才肌の武将です。
しかしその後秀吉からその才能を疎んじられ、わずかな領地しか与えられないという不遇の人でもありました。
その跡を継いだのは黒田長政。
こちらも関ヶ原の戦いなどでの武勇と遠謀深慮で有名な武将です。
しかし官兵衛の目にはその思慮深さが判断力の鈍さとして映り、跡取りとして不安を感じていたそうです。
そこで官兵衛が取った策は、自分が病気になったときにその病床で、長年苦楽を共にした老臣達の悪口を言ったとのこと。
そうすることで老臣達の心を自分から離し、息子である長政を担ぎ上げる気分を作り出しましたということです。
この二つの事例を挙げて童門さんは「事業承継には跡取りの能力も大事だが、創業者の考えが特に重要だ」と締めくくりました。

事業承継の際には創業者が一歩引き下がって、残った社員が跡取りを盛り立てる雰囲気を作り上げることが大事だということでした。(吉)


おおさか東線
東大阪エリアに待望の南北交通網が整備―。
JR西日本が運行する新線「おおさか東線」が3月15日開通しました。

とりあえず南区間(放出駅―久宝寺駅)での開通ですが、これまで東部大阪エリアになかった南北の公共交通網がついに実現したことになります。
新駅は5つ作られましたが、うち4つは東大阪市内にあります。
駅周辺の状況がどうなるか、地元の行政や会議所も調査するようで、われわれも注目していきたいと思っています。

何より東大阪支局のある近鉄・布施駅から、東大阪市役所や産業支援施設「クリエイション・コア東大阪」(長田駅か荒本駅で下車)へ行くのに、JR森ノ宮回り、近鉄・生駒回りが不要で、時間短縮が図れることがうれしい限りです。(広)
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